定期レポート2009年1月

ソフィア・アイ :サブプライム恐慌と「派遣切り」

一昨年顕在化したサブプライムローン問題は、昨秋米大手金融機関の相次ぐ経営危機・破綻という事態に至り、それを契機に、自動車・電気機器等の業界における急速な経営悪化が進む中で、2009年は幕を明けました。
現在の経済状況は、あたかも「サブプライム恐慌」と呼ぶに相応しい様相を呈しています。
この間高収益を謳歌してきた電子部品メーカーでは、受注が一気に収縮し、月間受注額が前年対比で半減から3分の1程度に減少する例が珍しくありません。
日本を代表するメーカーであるトヨタでも、2008年度の決算が初の最終赤字に転落するだけでなく、ここ数ヶ月間の国内生産台数は前年対比で半減以下という状況に落ち込んでいる模様です。
こうした経済状況は、「これを脱するのに少なくとも3年はかかる」という見方が大勢を占めています。しかしながら一方では、例えば自動車販売の大きな落ち込みは、需要はあるのに、金融危機の影響でクレジットの審査が著しく厳格になっていることが主因であり、金融危機さえ解消の見通しが立てば急速に回復するという見方もあり、未だ定かではありません。

ここでは、不透明な将来予測はさておき、今回の経済危機を、とりわけ深刻さを増している雇用問題の領域から整理していきたいと思います。

1.「派遣切り」を巡る経緯

昨年来盛んにマスコミで取り上げられているいわゆる「派遣切り」問題の背景には、2004年の労働者派遣法の改定による製造業への人材派遣の解禁があります。また、2006年には朝日新聞の告発報道を契機にして、実態は職業安定法で禁止されている「労働者供給」や人材派遣であるにもかかわらず、請負契約によって労働法上の義務を免れようとするいわゆる「偽装請負」が大きく社会問題化しました。この偽装請負問題を契機にして、メーカーは請負契約から派遣契約への急速なシフトを進め、2005年に約6万人だった製造派遣社員は2006年にはその3倍以上の20万人へと急速に膨張したのです(※いずれも厚生労働省2008年発表データ)。その規模はその後さらに膨らみつづけ、昨年には50万人にも達していると言われています。
ところで、こうした製造派遣社員の増大が続く一方で、2007年には再度の労働者派遣法の改定により、それまで1年だった製造業への派遣期間の制限が3年以内まで認められるようになりました。経済状況が変わらないまま推移すると、多くの派遣社員の契約期間が2009年中に相次いで切れることとなります。そのため、生産規模を維持するための対応がメーカーには求められていたのですが、これがいわゆる「2009年問題」です。
ところが、ここへきて急速な景況の悪化により、メーカーは生産規模の維持ではなく、逆に生産規模の縮小を早急に進める必要に迫られました。その結果としてこの間相次いだ「派遣切り」により、「2009年」問題は3年間の契約期限を待つことなく、図らずも「解決」され雲散霧消することになったのです。

2.労働者派遣の実態

1986年の労働者派遣法制定以来、派遣労働者の数は急速に増えていき、2006年には300万人を超える規模に達していると見られます(※厚生労働省2008年集計データ)。
製造派遣が登場して以来ネガティブなイメージも強くなりましたが、長い間、特定企業への帰属に拘束されない派遣労働・派遣社員はむしろ華やかなイメージにさえ包まれた「ワークスタイル」として持てはやされてきました。さらには、特に近年、「働き方の多様化」、「女性の社会進出」、さらには「ワーク・ライフバランス」の美名の下に、多くの有識者によってむしろ積極的に推奨すらされてきたのです。
では、改めて労働者派遣の本質とは何なのでしょうか。
そもそも、労働者が複数の事業者から雇用関係または指示命令関係によって拘束されるような労働者供給は、歴史的に見て中間搾取の危険性が高いことから憲法ならびに職業安定法によって禁止されています。
これを、労働者派遣法は、雇用関係は派遣元に、指揮命令関係は派遣先にと形式上区分することで、派遣会社から事業会社への人材派遣を合法化しました。
しかし、実態はどうでしょうか。法律にはそう定められていても、雇用関係と指揮命令関係との厳格な区分は極めて難しい事情があります。
例えば、派遣社員が、派遣先での指揮命令に不満を持った場合(※実際にこうしたケースは極めて多く見られます)、その社員はほぼ必ず派遣元の派遣会社へ苦情を申し立てます。そうすると、派遣社員からの苦情をほぼそのまま鵜呑みにした派遣会社の担当者は、派遣先の事業会社へ事情調査をしたり、場合によってはいきなり苦情を申し入れたりすることになります。
こうした行為は、法律上の位置付けがどうであれ、事業会社側からみれば、明らかに指揮命令への「介入」です。なぜなら、派遣会社が派遣社員の不満に介在した時点で、通常の雇用関係にある社員に対するような円滑なマネジメントは立ち行かなくなってしまうからです。つまり、派遣法の定める雇用管理と指揮命令との区分など、実は絵に描いた餅に過ぎないのです。
このいわば派遣社員への「マネジメントのねじれ状態」は、企業経営における派遣労働の問題性の大きな部分を占めています。もちろん、ねじれたマネジメントの中では、通常の指揮命令だけでなく、人材育成や教育もうまく進めることはできません。
一方、労働者保護の見地から見ても、労働者派遣は重大な問題を抱えています。
なぜなら、正社員(※派遣会社の正規雇用者)を派遣する特定派遣はともかくとして、登録型の一般派遣は、派遣契約が成立している期間だけ派遣会社と派遣社員が雇用契約を結ぶという極めて特殊な労働契約形態だからです。その派遣期間たるや、1年以上に及ぶケースもある一方で、短いケースでは数ヶ月、さらには1日だけ(※一時期「日雇い派遣」として問題になりました)ということもあります。
最近でこそ、大手派遣会社では一定期間以上の派遣社員について社会保険加入が進むようになりましたが、長年にわたってほとんどの一般派遣社員は社会保険未加入状態にありました。
つまり、労働者派遣(※あくまで一般派遣)においては、労働法制による雇用保護の体系はほとんど意味をなさない状態になっているのです。

3.労働者派遣と「人件費の変動費化」

労働側からは、「働き方の多様化」等という一種奇妙な理念によって持てはやされる一方で、労働者派遣は、経営側の利害にも一致する側面がありました。
それは、1990年のバブル崩壊以降長期にわたったバブル不況の到来です。バブル不況は従来型の単なる景況悪化にとどまらず、金融システムや会計基準をはじめとする様々なグローバルルール(=欧米型スタンダード)の受け入れを余儀なくされる苦難の体験でもありました。
そうしたグローバルルールの雇用・人事面における浸透が、いわゆる成果主義人事です。
成果主義の本質は、個々の人材の人事管理方式とは別に、雇用管理=人件費管理体系における“人件費の変動費化”にあります。
それは、日本的雇用慣行(※とりわけ、終身雇用・年功序列慣行)の下では文字通りの固定費であった人件費の多くの部分を変動費に転換してしまおうとする試みに他なりません。
管理会計論の教えるところでは、変動費とは「売上に応じて変動する費用」です。そこでは、すでに「雇用の保証」といったような薄甘い理念は消滅しているのです。
具体的には、成果主義は、賞与の業績配分の徹底、管理職への業績年俸制の導入、職務給等増減変動型給与制度による固定給与の運用弾力化等によって、次々と人件費の変動費化を実現していきました。
さらに、その次に待っていたのが、雇用ポートフォリオそのものにおける「変動費化」です。つまり、正社員のような長期安定雇用はビジネスの中核部分を担う人材だけにとどめ、その他は非正規雇用(※契約社員、期間工、パートタイマー等)や外注(※人材派遣、請負等)に大きく移管していく政策が推し進められてきたのです。
派遣労働の増大は、まさにこうした歴史的経緯の中での必然に他なりません。

4.労働力商品と付加価値・競争力の源泉

このような雇用管理政策の転換は、労働者層の中に新たな「対立」をもたらしました。正規雇用社員と非正規雇用社員との対立です。
労働者派遣をはじめとする広範な非正規雇用者層の存在は、企業経営の調整弁であると同時に、悲しいかな正規雇用社員の安定雇用の「防波堤」でもあるのです。
先の「派遣切り」の社会問題化に際して、派遣ユニオンを中心とするボランティアの人達は団結して行動し、東京日比谷公園に急遽「派遣村」を開設して、行き場のない派遣労働者達の宿泊場所確保と食糧支援を行いました。ですが、こうした支援の中に、労働組合のナショナルセンターである連合が協力したという話は寡聞にして聞きません。
正規社員やその労働組合から見れば、不況になれば派遣社員が切られるのは、いわば「はじめから分かっていたこと」、「それを承知で派遣社員をやっていたのでは?」といった程度のことなのでしょう。
そもそも資本主義経済が成立するための大きな前提条件は、「労働力商品の成立」=「労働力の商品化」にあります。労働力(≒人間)を商品と同様に市場原理に基づいて扱うことができるので、大量の商品生産や流通、あるいはそれを前提とした大規模企業組織や取引上の信用創造がはじめて成り立つのです。
しかしながら、バブル以前の経済社会の中では、労働力は日本的雇用慣行等の下で、依然として「非商品」としての要素を多く兼ね備えていました。それは、先述した人件費の「固定費」としての側面ともいえます。
では、バブル以前の資本主義経済は現在に比べて脆弱だったのかというと、そうとは言えない面があります。
例えば、労働力の「非商品」としての要素の中の重要なものに、ワークモチベーションがあります。少し振り返れば分かることですが、モチベーションは、決して商品的な原理に連動して動くわけではありません。もし、それが商品原理にリンクするなら、商品価値、即ち市場での交換価値が最大となるところでモチベーションも最も高くなるはずです。ですが現実にはそのようなことはありません。むしろ、ボランティア等の無報酬の「仕事」の中でこそ、ワークモチベーションは大きな高揚を見せます。このことは、これも先述した「派遣村」のボランティアの人達の生き生きとした表情からも理解できる簡単な事情です。
さらには、ワークモチベーションが生み出される背景にも目を向ける必要があるでしょう。例えば、その一つに緊密なコミュニケーションや豊かな人間関係で満たされた組織環境があります。充実した組織環境の中では、歴史的に蓄積された知恵や習慣が受け継がれ、個々の人材の創造性や人格も高まります。その組織環境は、経済合理性の産物というよりは、人と人との非商品的な交流のなかでこそ培われるものなのです。
加えて注目すべきことは、こうしたモチベーションや組織環境といった、労働力の「非商品的要素」は、短期での業績指標によってその価値を測ることは難しくても、企業活動の長期的価値には連動している可能性が大きいという点です。
現在企業の付加価値をもたらしている源泉、それが直近の営業活動や生産活動に依存する部分は、よく検証してみれば多くの場合僅かなのではないでしょうか?
それよりもむしろ、長年の企業活動の中で積み上げられた信用、内部に蓄積された様々な知恵とナレッジこそが付加価値を支えているはずです。
そうした付加価値の源泉こそ、労働力の非商品的側面であることを私達は忘れてはならないでしょう。
つまり、競争力とは、労働力の非商品的要素を取り除き、変動費としての純化を推進する中にではなく、完全に商品化しきれない非商品的要素との絶妙のバランスを確保しようとする知恵の中にこそ、生まれ出るものなのです。

5.雇用問題の解決ビジョン

すでに結論は明確になりつつあるのですが、派遣労働(※特に一般派遣)やそれとほぼ同趣旨の製造現場での請負労働等の非正規雇用は「人件費の変動費化」の究極の具現化であり、製造業分野であるか否かに関わらず社会的にこれ以上増大させるべきものではありません。
まして、それを「ワークスタイルの多様化」の名の下に推奨する等、具の骨頂というべきでしょう。
なぜなら、派遣労働等のワークモチベーションの基盤を持たない労働形態は、人間からその社会性を奪い続け、国民のいわば「孤人化」(※個人化ではなく)を招くからです。
昨年(2008年)1年間を振り返って、思い浮かぶ象徴的事件は何でしょうか?
連続少女殺人、秋葉原等での通り魔殺人、旧厚生労働省幹部殺傷事件……、こうした昨年を象徴する事件のいずれもが、その社会的存立基盤を失ったいわば孤人化した者達が引き起こしたことに私達は十分に留意しておくべきでしょう。
また、企業経営の視点からも、労働者派遣とはいわば麻薬のようなものです。
そのことは、派遣労働の規模が、いまよりも大きく増大したときの様子を想像してみれば分かります。
先述したように、労働者派遣の大半を占める一般派遣は、派遣契約が成立している期間だけ雇用契約を締結するという特殊な労働契約形態です。ですから、派遣会社は一旦事業会社に派遣したスタッフを契約途中で引き上げることには容易には同意しようとはしません。実際には、顧客企業側のニーズと派遣社員の能力・スキルとのアンマッチは頻繁に発生するのですが、発生するケースすべてにスタッフ交替で対応していては、派遣会社の経営は成り立たないからです。
したがって、顧客企業側は、こうしたケースへの対応にしばしば苦慮することになります。現在の市場規模だからまだいいのですが、これが仮に5倍10倍になり労働市場の過半を占めるようになったとしたらどうでしょうか? 派遣会社は顧客企業に対する強力な交渉力を持つようになり、事業会社の経営が派遣会社に大きく左右されると共に、企業組織における仕事のモラルが崩壊してしまう事態が容易に想定できます。

このように、派遣労働増大から「派遣切り」に至る過程の中には、目先の雇用環境の変動云々といった問題を超えて、わが国の根底を支える社会基盤を揺るがしかねない重大な病巣が潜んでいるのです。

企業はその付加価値の源泉をもう一度深く見つめ直し、労働者層は自らの仕事と人生の価値を組み立て直す中で、双方が歩み寄る地点に雇用問題の解決糸口はあるはずです。
というよりも、資本主義経済の持続を前提とする限りは、そうする他はないのです。

 

キーワード9 :“ワークシェアリング”

経済状況と共に雇用環境も急激に悪化する中で、最近ワークシェアリングが再び取りざたされるようになりました。
簡単に言えば、それは、限られた雇用というパイ(ワーク)を、より多くの労働者で分かち合う(シェア)雇用施策です。
  そもそもわが国で本格的にワークシェアリングが論議されたのは、2002年前後のネットバブル崩壊に伴って経済情勢が悪化したときでした。奇しくも同じ時期、秘書給与詐取が発覚した社民党の辻元清美衆議院議員が、その弁明の記者会見で、「自分の事務所は予てからワークシェアリングをやっている」という趣旨の口から出まかせの言い訳をしたことからも注目を集めました。

■ワークシェアリングのタイプ

当時の厚生労働省の研究会が報告している『ワークシェアリングに関する調査研究報告書』によれば、ワークシェアリングには次の4つのタイプがあるとされています。
(1) 雇用維持型(緊急避難型)
(2) 雇用維持型(中高年対策型)
(3) 雇用創出型:
(4) 多様就業対応型
4番目のタイプはいわゆる「オランダモデル」と呼ばれるものです。差し当たり、ワークシェアリングには大きく分けて、短期の雇用対策としての雇用維持型と長期的な社会経済構造の変革を含む雇用創出型があると理解しておけばよいでしょう。
もちろん、現在わが国で主に注目されているのは前者の雇用維持型です。
日本経団連の御手洗会長が本年年頭の記者会見で、「ワークシェアリングも一つの選択肢で、そういう選択をする企業があってもいい」と発言しましたが、その意味も明確に雇用維持型を念頭に置いたものでした。もっとも、御手洗氏自身が会長を勤めるキャノンは、昨年来雇用調整と「派遣切り」の真っ最中ですが、ワークシェアリングを具体的に検討するというような方針は明らかにしていません。
また、上記研究会報告の流れでその後ワークシェアリングによる新規雇用への助成金も設定されましたが、実際に実現した例はなかった模様です。
つまり、雇用維持策としてのワークシェアリングは、わが国では定着しなかった歴史的「実績」があるのです。
では、長期的視点での雇用創出型のワークシェアリングはどうなのでしょうか。
このモデルは大幅な労働時間短縮や短時間勤務制度による女性の就労促進策等、近年わが国でも政府主導で推奨されている「ワークライフバランス」にも通じる雇用政策です。ただ、政府主導での声高なキャンペーンにもかかわらず、一部大手企業を除いて、わが国での「ワークライフバランス」は、多くの企業で人事政策の主要な関心事とはなりませんでした。加えて、今回の経済危機の進行が明確になって以降、その関心の低さには一層の拍車がかかっており、「ワークライフバランス」は企業現場からは忘れ去られつつあるといっても過言ではありません。ここには、どうやらわが国と一部欧米諸国との間での、雇用・就労環境及びそこから歴史的に蓄積されてきた仕事観を巡る根本的な違いが存在しているようです。。

■欧米諸国との違い

事実、オランダをはじめドイツ、フランスといった欧米諸国とわが国では、雇用・労働政策における根本的な違いがあります。例えば、ワークシェアリングに本格的に取り組んでいるこれらの国では、その前提として、労働法制、税制や社会保障制度を含めて、パート等の短期型雇用者と長期雇用者との間にほぼ完全な均等処遇が保障されている事情があります。もちろん、そうした均等処遇実現のため、政府は多大な財政負担を行っています。(その結果、オランダでは「雇用管理の優等生」といわれる極めて低い失業率が実現しましたが、一方でフランスやドイツの失業率はわが国よりも高止まりしたままです。)
つまり、正社員とパート等の短時間勤務者との間で円滑なワークシェアを行いやすい環境があるのです。また、仮に同質の仕事が同一量存在するとすれば(※これ自体がわが国ではレアケースですが)、現状の要員規模で処理しても、ワークシェアをして社員数が増えても、企業側のコストは基本的に変化しません。
これに対して、わが国では、正規雇用者と非正規雇用者との間には就業・処遇条件の大きな較差が存在し、双方で円滑なワークシェアが進む環境にはありません。そのことは、「派遣切り」を巡る正規雇用者と非正規雇用者との潜在的対立からも明らかです。また、社員数を増やして同一の仕事量をより多くの要員で処理すれば、残業コスト構造や賞与、退職金積立の関係から、企業側の負担コストは必ず大きく膨らみます。つまり、企業側には同一の仕事量は、より少ない社員により多くの残業をさせて処理したほうが、労働生産性が高まる事情があるのです。

■ワークシェアリングの可能性〜一体何を分割(シェア)するのか?

では、最後の論点ですが、現状では難しいにしても、今後のビジョンとして、わが国は現在不十分な諸条件を新たに整備してでも、ワークシェアリングを推進すべきなのでしょうか。
これは事例ではなく原理的に考えるしかありませんが、残念ながら、そこには仕事とビジネスの本質に照らしてポジティブな展望は見当たりません。
ワークシェアリングによって分配する対象は、労働時間、報酬、そして職務=仕事です。
このうち、労働時間と報酬は、法制によってある程度の均等配分は可能かもしれません。
事実現状の法制下でも、少なくとも労働時間については、原則「週40時間以内」といった大枠が定められています。業種業態、企業規模、「年功」や職種による違いはあるにせよ、仮にそうした条件が同一なら、報酬水準はかなり均されてきます。
しかし、仕事はどうでしょうか?
仕事を構成する重要な要素は、成果≒職責、職務内容、キャリアや職務遂行能力、そしてモチベーションに分解することができます。
このうち成果・職責や職務内容を複数の人材に量的に分割することは、比較的容易です。例えば、営業ノルマ1億円を、2名に分割すれば5千万円ずつというように。ところが、職務遂行能力(※これは生産性に重大な影響を及ぼします。)において、同一レベルの人材を複数用意するのは、ほとんどの仕事において容易ではありません。また、職務遂行プロセスを労働時間等の基準で単純に量的に2分割しても、そこから生まれる職務成果のトータルが、2分割された職務成果の総和とイコールになる保障はありません。
ましてや、個々人の仕事へのやる気であるモチベーションレベルは、なおさらでしょう。そもそも人格的なパワーであるモチベーションを、別の人間に合理的にシェアする等できるはずがありません。
しかしながら、モチベーションは仕事の生産性を左右する重要な要素であり、また長い時間を掛けて人材の中で醸成されるものです。
元来わが国の企業組織は、そのモチベーションを決して個々人の努力にだけ委ねるのではなく、それを培う豊かな組織環境と組織的協力関係を通じて、組織的に育て高めてきたはずです。
こうした組織論は、ワークシェリングのビジョンとは対極にあるように思われます。


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