競争力を高める人材育成
コンピテンシー・ラーニングの戦略
−第1回:暗黙知としてのコンピテンシー−

企業における人材育成は、大きな転換点に差し掛かっているようです。報告されている事例はさほど多くないとはいえ、企業内で行われる育成策は、集合研修中心から社員個々人の学習課題をターゲットにしたものへ、スケジュール消化的な活動からその成果を重視して研修効果測定まで行う育成マネジメントへと、着実にシフトしています。
本レポートでは、そうした変化に注目しながら、今後の企業内教育の戦略的な方向性とその具体策を明らかにしていきます。

概ね次のようなテーマに分けて、毎月1回・計3回程度の連載を想定しています。

   第1回:暗黙知としてのコンピテンシー
   第2回:暗黙知形成としての学習・成長の仕組み
   第3回:学習・成長を促進する人材育成策

1.人材育成における“変化”のポイント

企業内教育の変化は、次のような軸に沿って概括的に捉えることができます。

   1.   育成対象の変化:形式知(※狭義の知識・技術)⇒コンピテンシー(※成果を生み出すための能力)
   2.   育成プロセスの変化:単発的研修施策(※集合研修、OJT等)⇒系統的な育成(※学習マネジメント)
   3.   育成目的の変化:狭義の知識・技術の習得⇒その活用、または活用能力の養成、さらには業績向上(※教育研修におけるROI等)

そこで、今回はまず1の軸に注目し、育成対象としてのナレッジの捉え方がどう変化しているのか、また変化させるべきなのかについて、考えていきます。

2.暗黙知と形式知

暗黙知理論の提唱者、マイケル・ポラニーは、知識の特性について、次にように語っています。
「自動車を運転する技能を、自動車に関する理論の徹底的な習得で置き換えることはできない。」(※『暗黙知の次元』)
この言葉の中の「自動車に関する理論」は形式知の、「自動車を運転する技能」は暗黙知の具体例として言及されています。
差し当たり定義すると、形式知とは、言語によって概念化され体系化されている知識領域=ナレッジのことです。これに対して、言語化されていないか言語表現することが難しい、ないしは言語表現することの価値が低いナレッジを暗黙知と言います。ポラニーの上の言葉は、したがって、暗黙知は複数の形式知の総和ではない、という意味のメッセージです。
例えば、人の顔。
私達が友人の顔を見てその人と見分けることができる知識、これは暗黙知に属すると考えられます。
この顔に類するタイプの暗黙知は、「理解する前に知っている」という性質のものです。というもの、私達は友人の顔を理解するとき、目がその友人のものであるかどうかを確かめ、次に耳を、そして鼻を……というように、顔の成り立ちをモンージュ写真のように概念的に整理した上でその人の顔であると見分けるわけではありません。あくまで、その全体的な「印象」を「知っている」ことによって、瞬時に識別しています。

3.暗黙知の“学習”

次に、「訓練等を通じてだんだんと身に付く」というタイプの暗黙知があります。
前述の自動車の運転技能もこれに当たりますが、技能一般がこのようなタイプの暗黙知といえます。
例えば、自動車の運転を練習するとき、たしかに初めのうちは、「ハンドルは両手でしっかりとにぎって操作する」、「アクセルとブレーキは、同じ右足で操作する」、「右左折時にはウインカーを出す」というように、形式知の習得を積み重ねていきます。ところが、その積み重ねを継続し繰り返すうちに、いつの間にか学び蓄積した形式知を殊更意識しなくても自動車の運転ができるようになります。
これを一般に、「形式知の暗黙知化」と表現します。
ただ、同じにように技能の習得をする場合でも、「形式知の暗黙知化」ではなく、「暗黙知のままでの習得」(※つまり、形式知が介在しない学習)ということもあります。
職人が道具の使い方を憶える場合がそれにあたります。
例えば、大工見習いが鉋の使い方を習得する場合、本に書いてある方法を座学で学習した後に練習を積んで覚えるわけではありません。そうではなく、師匠や先輩の技を見よう見まねで繰り返しやってみる中から習得していきます。
宮大工の棟梁・故西岡常一氏は、その様子を次のように語っています。
「……姿勢が悪くても刃は研げません。力の入れ具合が悪くてもできません。癖があったら研げません。自分の癖はわからないものです。その癖が刃物を研ぐときに出るんですな。急いでも力を入れても研げませんのや。/そのたびに『何でや』と思いますやろ。それで考えるんですな。そして先輩のすることをよく見ますな。何とかして研ごうと思いますからな。これが頭ごなしに『こうやるんだ』と教わってもできません。手取り足取り丁寧に事細かに教わってもできませんな。/素直に、自分の癖を取って、自分で考え、工夫して、努力して初めて身につくんです。苦労して、考え考えしてやっているうちに、ふっと抜けるんですな。そして、こうやるのかと気がつくんです。こうして覚えたことは決して忘れませんで。」

(西岡常一著『木のいのち木のこころ 天』草思社刊)

赤ん坊が言葉を覚えるプロセスも含めて、暗黙知の習得には、むしろこのパターンの方が圧倒的に多いように思われます。
そして、形式知が介在しないまま習得された暗黙知は、人格の深層にしっかりと根付く傾向があるようです。この原理的傾向はさらに、企業の競争力形成にも深く関係していると考えられます。

4.暗黙知の脆弱さ

ただ、暗黙知には、一方で不思議な性質があります。身に付けていたはずのナレッジが瞬時に瓦解するということが起こる点です。
それは例えば、暗黙知の運動に形式知が何らかの事情で介入するケースです。 ふたたび、顔の例で考えてみます。
全体の印象としては友人の顔と分かっているのに、たまたまある時その目だけに注目してしばらく見つめてしまったため顔全体の印象が急速に衰弱してしまう、ということが起こります。
これは、一般に“ジャメヴュ=未視感”と呼ばれる現象の一種で、多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか。
例えば、いつも使う漢字熟語の配列の中の一文字だけを凝視した際、熟語全体の非記号的な印象が薄れてしまうような体験も、これに似ています。
さらには、楽器を演奏する技能の例(※これはポラニーの著作でも紹介されています)を考えてみます。
例えばピアノで、ショパンの幻想即興曲を習得している人は、特段意識しなければ、最初の速いテンポのところも途中の緩やかな旋律も自然に弾くことができます。ところが、たまたま例えば右手の動きに視線を奪われてしまうと左右の手の連携が崩れてしまう、ということが起こります。
顔の例もピアノの例も、暗黙知の運動プロセスに、それを概念的ないしは要素還元的に分節化して認知しようとする、形式知的な作用が介入した結果といえます。
このように暗黙知は、意識しないで実践できるといういわば「自動化」であり、私達の日常行為を根底から支える強力なナレッジである反面、ちょっとしたきっかけで瓦解しかねない脆弱性も孕んでいるのです。

5.暗黙知の危機とナレッジ形成の可能性

現代の企業組織におけるナレッジの状態は、暗黙知の“脆弱性”が大きく露呈した状況といえなくもありません。
いつも自然にできていたはずの職務プロセスの中で、例えば列車が脱線し、一方では整備不良の飛行機が上空を飛びまわるといった事態が、近年次々に起こっています。
その背景には、バブル崩壊後のグローバル競争力が相対的に低下する中での、成果主義マネジメントやマニュアル的コントロール(※即ち、新たな形式知化のムーブメント)の組織への浸透があります。いずれも、人材の関心を形式知的な思考へと強力に誘導するシステムです。
波動のように押し寄せる形式知化のムーブメントの中で、企業組織のナレッジはかつてない危機に瀕しているのです。
ただ、こうした事態を反対側から見ると、ナレッジのダイナミズムを回復するチャンスとも考えられます。暗黙知の“脆弱性”の中には、ダイナミズムが潜在しているともいえるからです。一面で弱さを合わせ持ち、常に変化を続けなければならない命運の中でこそ真の活力は生まれ出ます。そして、「弱さ」を克服しようと変化を続けるダイナミズムこそが、企業競争力を支える源泉でもあるのです。
つまり、競争力強化を目指した育成や教育とは、暗黙知の“脆弱性”の中に、懸命の組織的努力を通じてひとつの“安定”を築こうとする持続的営為に他ならないのです。
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ノウハウレポート  続きの項目

 6. ナレッジの階層構造とミッションとの関係
 7. コンピテンシーの成り立ち
 8. コンピテンシーの形成
 9. 暗黙知の広がりと力
10. 暗黙知としてのコンピテンシー
11. コンピテンシー形成の契機
12. 暗黙知原理の普遍性
13. コンピテンシーについてのまとめ
            

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