定期レポート2011年5月

ソフィア・アイ :節約と浪費/縮小経済回避への視点

 

GWも過ぎ既に夏の気配さえ漂いますが、今年は震災の影響でお花見がほとんど行われず、またGWの行楽の人出も激減する等、寂しい春となりました。

 

その背景には、福島原発危機に端を発する「節電運動」以上に、震災の犠牲者、被災者の方々への配慮からの自粛の気持ちが働いています。ですから、それ自体至極自然なことなのですが、こうした動きがさらに広がっていくと、経済の先行きへの懸念が膨らんできます。

 

そもそも福島危機には、「浪費」と「節約」という相反する2つの要素が孕まれています。
浪費的側面としては、原発の存在自体が、そのような危険なエネルギー生産を行わなければならないほど巨大な経済を築いてしまった現代社会の帰結であるということです。
また節約的側面としては、それでも原発は、他の代替エネルギーに比して圧倒的に効率のよい電力生産の仕組みであるという点です。
現に、今回政府から浜岡原発の運転停止を求められた中部電力は、そのために年間2000億円にも及ぶコスト増を強いられるといわれています。

 

「自粛・節約」はそれが過度に進むと、消費の抑制にはじまり、経済の停滞⇒企業業績の低迷⇒物価の低下⇒デフレの深刻化というように連鎖していきます。
一方「浪費」が過度になれば、消費の増大にはじまり、経済の活況⇒企業業績の向上⇒物価の上昇⇒借入金の増大⇒景気の加熱⇒インフレ(もしくはバブル崩壊等の経済危機)というように進展します。

 

ところで、節約はもちろんのこと適度な浪費も、実は経済には不可欠な要素です。
歴史上繁栄したあらゆる文明社会は、その内部に特有の「浪費システム」を持っていました。古代エジプトにおける数々の巨大ピラミッドの建造も、現代では奴隷労働ではなく通常の雇用対策として行われていたという説が有力です。わが国でも、もっとも長く続いた江戸時代には、大勢の大名行列を連ねて旅する参勤交代制度という「浪費」の仕組みがありました。そして、現代もっとも繁栄している国であるアメリカでは、つい数年前サブプライムローンという一種異常なクレジット(借金)によって莫大な消費が行われた結果として、史上最悪の金融危機(リーマンショック)が勃発しました。

 

私たちは一般に次のようなイメージを抱く傾向があります。

 

 節約・倹約⇒ 規律、規則正しい生活、節度・節制、自重、コンプライアンス(法令順守) …清潔、高潔

 

 浪費⇒ 無駄遣い、大量消費、悦楽、愉悦、蕩尽、酒池肉林……汚濁、堕落、不正

 

しかし、福島危機は、むしろその「清潔」から生じている側面がある、と言えば言いすぎでしょうか。
規制とルールに縛られた組織は「プラスα」の想像力や工夫に欠け、危機対応に対して脆弱になるばかりか、いざ想定外の事態への対応力にも欠ける。そうした構図を、今回の長引く事故対応は示してはいないでしょうか。
ここ20年程度を振り返ると、企業経営の歴史は、その組織とマネジメントの中に、法令や公的基準による様々な制約を組み入れる過程でした。会計・財務や人事等の様々な領域に、「グローバルスタンダード」という名の一種の制約が次々と導入されていきました。それは組織面にも及び、執行役員制や外部役員の半義務化等で経営組織が組み替えられただけでなく、法務部門や監査部門等が企業の中で膨らんでいきました。
注目すべきことは、そうしたいわゆるグローバル化の流れの中で、日本企業とそこで働く人材の活力が、確実に削がれてきたという点です。
そうした流れは、一時期発電所等での検査不祥事が問題になったエネルギー系企業、電力会社では特に顕著だったのです。

 

江戸時代の後期(18世紀末)、経済拡大政策を主導した田沼意次の失脚を受けて、緊縮財政、風紀取締りによる改革を目指した寛政の改革のとき、ちまたでは次のような風刺歌が流行ったといわれています。

 

 白河(※)の清きに魚の住みかねて 元の濁りの田沼恋しき

 

  ※「白河」とは、寛政の改革を主導した老中・松平定信のこと

 

現在の状況の中で、「原発反対」や「原発の運転停止」を叫ぶのは、実に簡単なことでしょう。
とはいえ、私たちはどのような危機的状況の中でも、経済社会の活力が生まれ出る本質的な原理を見極める力、もしくは思考のバランス感覚を決して失わないようにしたいものです。

 



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