定期レポート2010年1月

ソフィア・アイ :00年代から10年代への展望/若手世代の活躍の意味

 

2010年の幕開けは、単に新年が明けるだけではなく、新しい“10年代”の幕開けでもあります。
80年代から90年代へ、90年代から00年代へは大きな変化が伴いました。
さて、10年代はどのように変わっていくのでしょうか。
まずは最近の歴史の流れから、簡単にポイントを整理してみます。

 

1.80年代から90年代

70年代は、高度経済成長の終焉と2度のオイルショック。80年代前半は円高不況等があり、80年代後半からのバブル経済には、社会全体が沸き立ちました。
しかしながら、90年初頭の株価暴落を契機としてバブルの崩壊が始まり、その後不動産価格の暴落が続くに及んで、日本経済は長い低迷期に突入しました。
90年代の変化のポイントは、それが単なる景気循環としての不況にとどまらなかった点です。
BIS(国際決済銀行)基準変更という大きな金融制度の変更のため、日本経済や商慣行は構造的な変革を迫られることになりました。いわゆる「グローバル化」のはじまりです。その影響は深刻で、90年代を通じて遂に日本経済は不況期を抜け出すことができませんでした。それどころか、大手銀行の倒産が起こるなど、90年代を終盤に向けて、経済の混迷はますます深刻になっていったのです。

80年代から90年代の変化のポイントは、単に生産性を高めたり市場を開拓したりという従来型の変革だけでなく、「護送船団方式」に代表される日本型ビジネスモデルそのものの変革を迫られた点にあります。
その「変革」が必ずしもうまく進まなかったことから、90年代は日本にとって「第2の敗戦」とも言われました。

 

2.90年代から00年代

世紀を跨ぐこの時期を象徴する変化は、いわゆる「情報通信革命」の勃発でしょう。

何をもって情報通信革命とするかは定義の難しいところですが、その基本は、半導体技術の飛躍的向上、及びそれに伴うコンピュータやPC、通信ネットワーク性能の格段の進化にあります。
そうした技術基盤の革新に伴って、私たちの生活習慣、とりわけコミュニケーション習慣、そしてまた社会的環境も急激な変貌を遂げることになりました。98年には携帯電話の普及率が50%を超え、02年にはインターネットの世帯普及率が50%を突破しました。

しかしながら、情報技術の進歩が本当に生産性を向上をもたらしたかどうかには、当時から多くの異論も出されています。
現に、00年代を通じて日本企業の国際競争力は高まってはいません。国内的にも、日本の労働時間数はこの10年一貫して増加をつづけています。
私たちの身の周りを見渡しても、以前なら簡単なワープロによる企画書で済んだものが、現在ではパワーポイント等の企画書ソフトを使って時間をかけ趣向を凝らしたものを作らざるを得ない状況もあります。
こうした事実から、情報技術の革新によって、却って「生産性が低下した」という見方さえ可能なのです。

また、そうした生産性問題以上に、生活・社会環境の変貌は重大です。
メール文化に象徴される単なるコミュニケーション形態の変化を越えて、私たちの社会的な関係性そのものが根底から変わってしまっているからです。
例えば、少子化傾向とも相俟って、地域を見渡しても、都会では外で遊んでいる子供の姿を最近はめっきり見かけなくなりました。また、職場、学校、近隣、親戚での集まりやイベント等も昔に比べて格段に減ってきています。

こうした社会的関係性の変化は、企業活動にも重大な影響をもたらしました。
個々人レベルでは、メンタルヘルス、ハラスメント、若手の退職増加といった文字通りコミュニケーションに関わる問題が続発しています。また、組織レベルでは、交通・エネルギー企業での不祥事、情報漏えい事故、食品関係企業での偽装事故に象徴されるように、組織体質の変化に伴う重大な事故や不祥事が近年続発しています。

00年代は、経済のグローバル化、IT技術による社会環境の変化の負の影響が集約された時代になってしまったのです。

 

3.10年代への展望

08年の金融危機に端を発する経済の低迷状況は、約1年半が経過した現在でも引き続き深刻な形で続いています。
また、00年代を通じて明らかになった変化の「負の影響」も、それを克服する有効な処方箋が見出されたわけではありません。
そういう中で、私たちは新しい10年間の展望をどう抱いていけばよいのでしょうか。
以下では、最近見られる若者たちの変化から、そのヒントを探ってみたいと思います。。

 

4.暗黙知の継承/プロゴルファー・石川遼

弱冠18歳にして男子ゴルフ界のホープ、救世主、そして今シーズンの賞金王です。
彼を見てだれもが注目するところは、その人格面での品格の高さでしょう。
インタビューに対する的確で簡潔なコメント。丁重で熱意あふれるファンサービス。また、英語を修練してまで世界を目指す向上心の高さ。加えて、今回選手会の副会長に選出されたことからも分かるように、ゴルフ界そのものの発展を志向する気概を持っています。
彼を見ていると、よく大人が口にする「最近の若者は……」というような主に若者の人格的幼稚さを指摘する言い方は、現代の若者に対してはすでに成り立たなくなっていることが一目瞭然です。

なぜ彼のようなスターが生まれたのかは正確に分からないので述べませんが、先日年末のスペシャル番組で見た事実に、石川遼という存在の価値を見極める上での重要なヒントがありました。
その番組は、とんねるずのパーソナリティの下、何人かのスポーツ選手ととんねるずが実際に楽しく競技をしてみるという内容で、他にテニスの杉山愛、卓球の福原愛といったアスリートも出ていました。
石川選手のコーナーでは、何ホールかのコースを使って、ドラコンやスコア競技が行われたのですが、それに先立って石川選手がとんねるずの2人にドライバースイングのアドバイスをするシーンがありました。
そこでの石川選手の指導振りは、まさに驚愕でした。
まず石橋貴明に対して。
本人に一度ボールを打たせます。
それを見て一言、「バックスイングを、手だけでなく、体全体を上げるような感じでやってみて下さい」と助言します。
そうすると、驚くべきことに、石橋の飛距離が一気に伸びるのです。
次に木梨憲武に対して。
ふたたび、ボールを打たせます。
今度は、「(ボールの手前に持っていたタオルを弧状において)このタオルの弧をなぞるようなイメージで振ってみてください」と言います。
そうするとスイングが安定して、またまた格段に飛距離が伸びるのです。

このわずか数分間に行われた石川選手の指導には、技能継承を考える上での要諦がぎっしりと詰まっています。
?短時間の観察を通じて、対象者のスキル上の課題を瞬時に見極めていること
?スキルの修正を一般的な観点からではなく、スイングの癖など本人の特性に応じて考えていること
?助言の仕方として、「○○を△△に直せ」というようにプロセスを指示するのではなく、指導者側が考えたスイングの修正イメージを当人が共有し現実に実践できる形で具体的に伝えていること。
   ※石橋に対しては「体全体を上げる…」、木梨に対しては「タオルの弧をなぞるように…」

ここからは、現実に「できる能力」(=暗黙知)が継承可能であること。また、その継承は、一般に言われるように形式知を介在させなくても、「暗黙知⇒暗黙知」というストレートな形で行えることが分かります。

石川選手の到達している人格的レベルとゴルフ技術は、そうした暗黙知の継承・育成の新たな地平を指し示しているように思われます。

 

5.共感を力にした目標達成と他者変革/アルピニスト・栗城史多

息絶え絶えに氷壁を登る自らの姿を小型カメラで撮影し、リアルタイムでネット配信する。
しかも、泣きそうな声でのレポートつき。

新年1月4日の夜、NHK『7サミット』という特集番組が放映されました。。
栗城史多(くりきのぶかず、27歳)という若き登山家 のチャレンジの記録です。
彼は、「単独・無酸素」による世界の名峰への登攀、さらにはその様子を自ら撮影してネット配信するというスタイルで、現在売り出し中のアルピニストです。
NHKでは、“7サミット”(世界7大陸最高峰)の最後となるエベレストへのアタックの様子を密着レポートしていて、ヒマラヤのパノラマの素晴らしさとともに、エベレストの壁面の想像を絶する険しさ、高所登攀の死と隣り合わせの苦闘が生々しく伝わってきました。

結局失敗したエベレストへのチャレンジは、6500M付近に設営されたベースキャンプから出発しました。
最初の第1キャンプには比較的すんなりと到達するものの、そこからが凄まじい。
7000Mを超える第2キャンプへの道のりは、片側が大きくせり出した雪庇、反対側は深く抉れたクレバスという隘路になっている。
しかも、足場は降り積もった深い雪。
死を覚悟しなければ通れない場所です。
そして、何とか第2キャンプに到達。そこで、キャンプを張り野営。
だが、「無酸素登攀」の彼は、眠ることができません。
第3キャンプへは、望遠の映像で見る限りは右横に進むだけなのだが、これがなかなか進まない。
斜面の角度が厳しいことに加えて、雪が深いのです。
そして何より、7500M付近の「デッドライン」と言われる酸素濃度の関係で生命の限界点に差し掛かっています。
トランシーバでの交信の様子は、激しい息遣いと共にほとんど泣き出しそうな声になっていました。
進行速度はというと、わずか1キロ・標高差150M程度の第3キャンプに向けて、6時間以上かかってもまだ着かない。
1M進むのに、数分を要しています。
そうして、そのまま進むか引き返すかを決断しなければならないポイントになりました。
安全地帯にある第3キャンプに着かなければ野営ができず、凍死することになるのです。
また、明るいうちでなければ、引き返すこともできなくなってしまいます。
望遠鏡で監視しているベースキャンプからその旨の連絡が伝えられると、栗城からは次のような返答がありました。
(※今にも泣き出しそうな声で)「すぐそこに(第3キャンプが)見えているんですがね。いけないでしょうか?」
栗城が「すぐそこ」と言ったポイントは、実はまだ距離にして数百M、標高差で100M以上離れています。
すでに正常な判断能力は失われているのです。
そうしたぎりぎりの状況の中で登攀中止が決まりました。
悶絶の末第2キャンプに戻ったときは、山はすでに真っ暗でした。

NHKの番組に先行すること3日、元旦のFMラジオ・J-WAVEに、夜8時から栗城史多がゲスト出演していました。
約1時間に渡ってナビゲーターとトークセッションをやったのですが、面白い内容でした。
たとえば、山に登ることになった動機。
昔彼女がいて、2年以上付き合ったあげくにふられた。
最後に「2年の間、あなたのことはあまり好きじゃなかった」と言われて。
そこで、別れた後、その彼女がたまたま登山好きだったことから、どんな気分なのかと思い自分も登ってみた。
それがきっかけになって山が好きになり、フリーター生活を経て進学した大学で登山部に入る。
2年後、北米大陸最高峰・アラスカのマッキンリーに登ろうとするが周りは「無理だ」とすべて反対。
挙句の果てに登山部は破門になり、それでもマッキンリーに行った。
ちなにみ、マッキンリーを選んだのは入山料が安く1万5千円くらいだったからだそうで、エベレストだと200万円かかるのだといいます。

ところで、1月3日にこれもNHKの新大河ドラマ『竜馬伝』スタートしました。
一概に比較は難しいですが、新鋭アルピニストの栗城史多と竜馬には共通点が感じられます。
それは、「強さ」を求めながらも(※現に竜馬は剣術ではかなりの達人だったらしい)、特に仲間に対しては自分の弱さをさらけ出すことを全くためらわないところです。

子供時代の竜馬は、怖くて岩場から川に飛び込めない。
さらには、上級武士に道で行き交う際、路傍でひざまずいていた時、目の前の蛙を見て飛び上がった拍子にぶつかってしまい、あやうく斬り殺されそうになる。
栗城氏の自己撮影による、あの泣きの入った登攀レポートを聴いていて、ありのままの自分を生きながら幕末の動乱に立ち向かう竜馬の姿が一瞬脳裏をよぎりました。

作家・大岡昇平の名作『レイテ戦記』の中に、次のようなシーンがあります。
日米戦終盤の昭和19年秋、いよいよ米軍の反攻が本格的になり、まずは陸上部隊がフィリピン・レイテ島に上陸をうかがいます。
レイテ島東岸に配置された日本軍守備隊に向けて、米軍艦隊からの凄まじい艦砲射撃が始まります。
すでに日本軍航空部隊は壊滅し、制空権は完全に米軍ににぎられていました。
連日のように砲弾が雨あられと降り注ぎ、日本軍陣地を破壊し、あるいは兵士の肉を切り裂く。
そういう極限状況の戦闘にあって、大岡は、意外にもこうした状況の中でも果敢に戦うのは、日頃は大人しく目立たないタイプの兵士だ、というようなことを書いています。
普段から如何にも勇猛果敢で活躍しそうな兵士は、案外肝心の場面ではダメなのだそうです。
そういう意味では、仲間に対して素直に自分の弱さをさらけ出すことができるのは、「強さ」の重要な要素なのかもしれません。

栗城史多が現在のような活動を継続するのは、かつての自分と同じような境遇を生きる多くの若者に「次の一歩」への力を与えたいという思いがあるようです。
最初のチャレンジとなったマッキンリー山頂に立ったときの印象を、彼は次のようにコメントしています。
  「全身の細胞が波立ち、生き返るような感覚。要するに生きている実感をはじめて感じた。」

リアルタイムでネット放映されたエベレスト登攀中、彼のサイトには多くのファンからの激励コメントが寄せられていました。
「…苦しいでしょうが、生きて帰ってください……」
そのコメントをもちろん彼は見ることはできませんが、無念の下山中、ベースキャンプからの無線で刻々と伝えられました。
たかだかネットでのメッセージに、これほどの力があることを、はじめて知る思いがしました。

栗城史多の挑戦は、同世代を超えた広範な人々に向けて、“共感を力とする行動”を強烈なエネルギーを伴って訴えているように思われます。


6.「強い眼」を持った子供達/アーティスト・いきものがかり

27歳の男性2名と25歳の女性ボーカルからなるグループ・いきものがかりの“YELL”という曲は、今年のレコード大賞優秀作品賞にして紅白歌合戦出場曲です。
年代を問わず、聴く者に鮮烈な印象を与える楽曲です。

まず、曲の冒頭。

 ♪「"わたし"は今 どこに在るの」と 踏みしめた 足跡を 何度も 見つめ返す

「…どこに在るの」は、月並みな曲なら「…どこにいるの」となるところでしょう。
しかも「わたし」ではなく「"わたし"」です。
その一種実存的な言明を秘めた詞を、せつないメロディーに乗せて、聴く者を一気に引き込んでいきます。

それに、普通、人は「踏みしめた足跡を何度も見つめ返す」でしょうか?
足跡を何度も見つめ返すようなリフレクティブな行為は、およそ現代の若者のイメージとはかけ離れています。
とはいえ、「卒業」や「学園の想い出」をテーマにした切ない曲なら、その昔にも谷山浩子の『窓』などがありました。
また最近でも、川嶋あいの『旅立ちの日に』や奥華子の『ガーネット』というような秀作が知られています。

ところが、この『YELL』から受ける印象、またこの曲が目指している水準には、まったく異質のものがあります。
たとえば、次のようなところ。

 ♪翼はあるのに 飛べずにいるんだ ひとりになるのが 恐くて つらくて

  優しい ひだまりに 肩寄せる日々を 越えて 僕ら 孤独な夢へと歩く

作詞・作曲の水野良樹の詞は、目の前の現象を見つめるだけでなく、自分の内面を深く遡り、その本当の弱さを抉り出します。
「ひとりになるのが 恐くて つらくて」と。
孤独への言い知れぬ恐れ、これは若者に限らず現代を生きる多くの人たちが共有している心境でしょう。
ですが、現象の華やかさを殊更に取り繕うことはあっても、孤独への恐怖を直視できる人は多くありません。

ただ、ここまでの心境を描いた楽曲なら、他にもあるかもしれません。
YELLの優れているところは、今の自分が変わりゆくべき「その先」のビジョンをすぐに指し示すところです。
「優しい ひだまりに 肩寄せる日々を 越え」た先にある「孤独な夢」のイメージは、あまりに美しく、なおかつ力強いものがあります。

曲は2番に至り、それでもなお、より正確に今を生きる自分の弱さを描ききろうとします。

 ♪僕らはなぜ 答えを焦って 宛ての無い暗がりに 自己(じぶん)を探すのだろう

  誰かをただ想う涙も 真っ直ぐな 笑顔も ここに在るのに

そう、「答えを焦って」、懸命に「自己(※自分ではなく)を探」した挙句に、「宛ての無い暗がりに」迷い込んでいる情景。これは、まさにグローバル化が進む現代社会の中で右顧左眄する大人達の姿に他なりません。
「誰かをただ想う涙も 真っ直ぐな 笑顔も」、持ってはいてもそれを表現できないまま時間に埋没しているのです。

さらに、曲はどんどん進展していきます。

 ♪"ほんとうの自分"を 誰かの台詞(ことば)で 繕うことに 逃れて 迷って

  ありのままの弱さと 向き合う強さを つかみ 僕ら初めて 明日へと 駆ける

「ありのままの弱さと 向き合」えることが“強さ”なのだ、と詞は主張します。
そして、この曲のテーマである「サヨナラ」とは、弱さに向き合える人たちが“強さ”を掴もうとするときにはじめて、力(=“YELL”)に変えることのできる応援の言葉なのです。

かつて、ミステリー作家・笠井潔が、70年代後半に発表したデビュー作『バイバイ、エンジェル』の終盤に次のように書いていました。

「君はバリケードが三日しか続かないことをもって、国家と人民の共犯関係を告発する。しかし、ちがう。そうではない。バリケードが三日しかもたないのは、蜂起した群集が我身可愛さで秩序に逃れるからではない。人間がそこで、弱い眼には耐えられない。

真実の輝きに眼を灼いてしまったからなのだ。
エジプト、ギリシャ、ペルシャ、そして日本にさえも、太陽こそ至高の神と真実の象徴であると信じる人々が存在した。けれども、誰が太陽の輝きを果てしなく凝視し続けうるだろうか。太陽の白熱する光球を直視する者は、ついに眼を灼かれて昏倒する以外にない。真実を見続けうるためには、人間の眼はあまりに弱すぎるんだ。バリケードの経験は、燃えあがる真実であるからこそ三日しかもちこたえられない。
(※中略)
そう、希望はある。身を捨てて、誇りも自尊心も捨てて、真実を、灼熱の太陽を、バリケードの日々を生きることだ。太陽を直視する三秒間、バリケードの三日間を最後の一滴の水のように深く味わいつくすことだ。僕達は失明し、僕達は死ぬだろう。しかし、恐れを知らぬ労働者たちが僕達の後に続くことだけは信じていい。

叛乱は敗北する。秩序は回復される。しかし、叛乱は常にある。秩序は叛乱によっていつかふたたび瓦解するのだ。永続する敗北それ自体が勝利だ。三日間の真実を生きつくす百世代の試みの後に、いつか、そうだ、いつか強い眼を持った子供達が生まれてくるようになる。そうして彼らは、太陽を凝視して飽くことを知らず、僕たちの知らない永遠の光の世界に歩み入っていくことだろう」

「第二の敗戦」とまで言われた長い混迷期を経てきた日本にあって、『YELL』に描かれた生は、まるで「強い眼を持った子供達」の出現すら予感させます。

 

このように、各界で活躍する10代・20代の若者の活躍は、否応なく「第2の敗戦」の焦土から吹き出す新しい芽をイメージさせます。
彼らは、上の世代がともすると違和感を覚え、あるときはそれに引きずられて使いこなしきれなかった新しい技術(IT等)や文化を、すでに内面化し自らの人格とスキルの中に取り込んでいます。そして、実際の行動の中で縦横に活用しながら成果を挙げているのです。
彼らが図らずも表現しているのは、歴史的価値(※知恵や技能を含めて)を継承する道筋であり、共感による社会的関係性の回復であり、自立の先にあるより高次元の目標へのコミットメント(志向)です。
大人世代が、こうしたことを若い世代から教えられるという事実そのものに、10年代への確かな可能性を見て取ることができるのではないでしょうか。

 



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