定期レポート2009年11月
ソフィア・アイ :『坂の上の雲』と官僚主義
1.小説・『坂の上の雲』のイメージ
司馬遼太郎による国民的大作・『坂の上の雲』のテレビドラマが、先日からNHKで放映開始されました。
デフレの深刻化による「景気の2番底」が懸念され、ここ20年来グローバル化に突き進んできた日本が国家の基本指針をめぐって揺れ動く今日、『坂の上の雲』を通じて明治という時代の空気を思い起こしてみることは、一種奇遇なことのように思われます。
「雲」というと、「暗雲立ち込める」、「雲行きが怪しい」というように、ともすると多くの場面で比較的ネガティブな比喩として使われます。
ところが、この『坂の上の雲』だけは、雄大な草原の上空を悠々とたなびく壮大な雲を思い浮かべてしまいます。
そう、そこに出てくる3人の主人公、秋山真之、正岡子規、秋山好古のいずれもが、それぞれに強烈な個性を持ちながら、共通して自分の極めるべき道を鮮明に思い描き、自由闊達に発想して行動し、なおかつ日本国家の行く末を真摯に憂慮していた、その爽快な生き様が、「草原の雲」を強く想起させるからです。
奇しくも『坂の上の雲』が産経新聞に連載された時代(1968年〜1972年)は、70年安保改定を挟んだ激動の時代。高度成長期を経た日本が、世界ナンバー2の経済大国として、ひたすら経済至上主義へと舵を切っていった時期でした。
そうした時代に、作者・司馬遼太郎は、明治という時代が持っていた重要な価値を懸命に照らし出して、日本国民に見せておきたいと考えたのではないでしょうか。
そのモチーフは多くの共感を呼び、今日までに単行本・文庫本含めた発行部数は2000万部に及ぶと言います。
では、明治時代の日本と、昭和から平成にかけての経済国家日本とは、何が一番異なるのでしょうか?
2.「事業仕分け」の意義と違和感
民主党政権の下、11月に入って連日国民環視の中で進められた目玉政策・「事業仕分け」が話題になっています。
財政のムダをあぶりだすため、その問題点を公の場で論議し、端的に結論を出していくプロセスは、「仕分け」ならぬ「必殺仕事人」にも喩えられ、その痛快さが人気です。また、国策としても、その公開性、国民目線の政策への反映等、旧政権ではまったく行われなかった真新しさがあります。
拙速、乱暴の感も否めない「仕分け」手法をより洗練して高度化していけば、今後とも成果が期待できそうです。
しかしながら、連日テレビで放映されるあの体育館でのやりとりには、何か基本的な違和感が付きまとうのも事実です。
「事業仕分け」の基本形態は、国会議員や民間識者による質問・追及と、官僚を中心とした政策提案側による「説明(弁明)」です。
国会議員や識者が、国民目線での政策検証を行おうとするのはとりあえずよいとして、「官僚」は一体何をやっているのでしょうか?
なぜ、彼らは「追究」されなければならないのか。また、なぜ「弁明」しているのか。
本来、官僚や役人は、政府のスタッフであり、指揮命令系統は単一のはずです。
それがいつの間にか、「官僚階級」とでもいうべき、一つの壮大な利害集団を形成し、その保身と利益確保に懸命になっているのです。
また、この階級は、政権政党である民主党の支持基盤の中でも大きな存在感を占めています。
予て問題となっている、社会保険庁から新組織・「年金機構」への業務移管に関わる問題に、その一例をみることができます。
本来の方針でも、また長妻現厚生労働大臣の考えでも、不祥事や不正に関わった職員は新機構には採用しない方針だったのに、最近ではいつのまにかなし崩しに採用せざるを得ない情勢になってきています。背景に、当人達はもとより、公務員労働組合が反発している事情があります。
話を元に戻すと、「事業仕分け」は、本来今回のように大げさにしなくても、政権の方針に沿って、天下りする程余剰要員を抱えている官僚達が、自らの手で日頃からきちんとやっておけばよいだけのことです。
にもかかわらず、国益を忘れ、自分達の保身と利益確保に没頭しているために、そうした役割は全く期待できなくなってしまっている。そこに。国家機構の根本的な歪みがあることを忘れてはならないでしょう。
この点が白日の下に晒されたことは、今回の「事業仕分け」の成果かもしれません
3.官僚主義の本質
官僚主義とは、手続き・形式重視、体面・体裁重視、先例重視、責任回避、自己保身、権威主義、セクショナリズム……といった組織や個人の体質を指します。
「事業仕分け」を見ていると、その行き着くところが官僚の自己保身であることがよく分かります。
今回の「成果」として特に重要なのは、ほとんどあらゆる国の事業には、それが有益であるかいなかに関わらず、口利きや仲介役として、必ず何らかの天下り法人(※財団法人や独立行政法人等)が関与していることを暴露したことでしょう。
官僚階級は、以前問題になったゼネコンの「丸投げ」のようにして、国家事業にヒルのように吸い付き巣食っているのです。
こうした傾向は、当然天下りの歴史と共に古くからあります。
私達の身近なところでは、厚生労働省管轄の厚生年金基金や健保組合等がその典型例でしょう。年金問題は今や国民的な重大関心事になってはいますが、その仕組みは複雑で、何度説明されても理解できない国民がほとんどなのではないでしょうか。
中でも、この厚生年金基金等はその最たるものでしょう。
ここでは詳細な説明は割愛しますが、そもそもなぜ厚生年金として一体運営していれば効率的なものを、一企業毎に分割してわざわざ何千もの団体を作らなければならないのでしょうか?
筆者自身も、年金に関心を持ち始めた頃はよく理解できませんでした。
そのうち「天下り」や官僚機構の問題を知るにつけ、ピンときたものです。
要は、役人達の「就職先作り」ということに尽きます。
厚生労働省は、企業が厚生年金基金を設立するにあたって、「年金業務に詳しい人」を常務理事にすることを認可要件として掲げ、これまで事実上役人の天下りを強制してきました。もちろん、高額な「給与保障付」です。
これだけでも、何千人分の就職先が生まれてしまうのです。
4.底知れない官僚主義の広がり
以上見たように、現代のわが国経済社会には官僚階級とでもいうべき層が存在し、そのコストを国民が負担しています。
ただ、ここにはもう一歩踏み込んで考えなければならない問題があります。
なぜ経済社会は、一見経済原理に反する官僚階級を生み出すに至ったのか、という点です。結論を先取りすれば、「それが必要だったから」ということになるでしょう。
この問題を見極めるヒントは、私たち自身の身近にも潜んでいます。
例えば、大手企業では、グループ内取引が活発に行われています。
大手企業のグループ会社の中には、その取引のほとんどが親会社との取引というケースも珍しくありません。
全部と言わないまでも、「半分以上が親会社」という例ならさらに多いでしょう。本来同じモノやサービスを買うのなら、グループ外を含めて広く取引した方が安くなる可能性が高く合理的なはずです。
なぜ資本主義経済の中でこのようなことが起こるのでしょうか?
その理由は、マーケットの中で需要と供給の関係、及びそれに伴う競争関係の中でだけすべての取引が決定されるという純粋資本主義の原理が、社会で生きる人々にとっては意外に厳しく、ときにそれに耐えられないほどだからではないでしょうか。
社会を広く見渡すと、資本主義的経済原理が成立していない領域は意外に広範にわたることが分かります。
特に、人間の身体や生命に関わる分野に多く見られます。
例えば、子供への教育サービスを行う学校法人は、そのほとんどが政府からの補助金なしには成り立ちません。
農業・水産業も同様です。
農家には様々な形の補助金が交付されていますし、漁業の基地である港湾施設は、基本的にすべて税金で建設されたものです。
病院は健康保険制度に守られているにも関わらず、大半が赤字経営と言われています。
近年政策的にも重視されている介護・福祉事業は、その付加価値レベルが低いため、そこで働く人たちの給与水準の低さが常に問題になっています。
こうしてみると、資本主義的経済原理だけで成り立っているビジネスは、一体どれほどあるのかと思えてきます。
意外に少ない。いや、ひょっとしたらほとんどないのかもしれません。
そこに経済原理の綻びと、官僚主義台頭の根本要因を見て取ることができます。
マーケットの中での競争が厳しく、自力で太刀打ちできないことを学んだ人たちは、それとは全く異なった原理を保守し、あるいは新たに生み出そうとするのです。
時にそれは人脈であったり、地縁血縁であったり、学閥だったりします。
官僚主義もその一例といえるでしょう。
一見万能とも思える資本主義経済は、その深部に底知れない“外部”を抱えたまま、いびつな形で存在しているにすぎないのです。
5.「明治」への憧憬
民主党政権の下で、官僚主義は敗れ去りつつあるかに見えますが、根本の社会構造が変わらない限り、それは必ず形を変えて存続していくことでしょう。なぜなら、国民一人ひとりが、本心ではそれを望んでいるからです。
さて、『坂の上の雲』に描かれた明治という時代は、個人の願望と国家の目標とが大きく重なり合った、近代日本において稀有の一時期でした。
若者達が真っ直ぐに未来を見つめてまい進することが、そのまま国家への貢献にもつながった幸せな時代に見えます。
大半の国民はいまだ赤貧にまみれ、そこからさらに日清・日露戦争の戦費を賄うための重税が徴収されたはずです。
旅順攻防戦をはじめ日露戦争の地上戦では、多くの若い兵士の命が虫けら同然に失われました。
それでも、国家と個人の目指す道は大きく重なり、日本近代国家建設という夢に向けて前進を続けていたのです。
国家の指導者も同様でした。
『坂の上の雲』の主人公の一人・秋山好古は、「男子は生涯に一事をなせばよし」との信念の下、陸軍司令官として騎兵隊の創設に力を尽くし、ロシア軍撃破の戦略だけを考え続けます。
その弟秋山真之は、連合艦隊参謀として、バルチック艦隊迎撃の戦略・戦術を考え続け、その影響で戦後は精神に異常を来たしたと言われています。
真之の竹馬の友・正岡子規は、生涯重病に悩まされながらも明るさを持ち続け、病の床で最期まで近代俳句のパラダイムを開拓しつづけたのでした。
『坂の上の雲』の後半の大部分は、日露戦の詳細な記述に割かれています。
その中で旅順攻防戦の終盤、印象深いシーンが出てきます。
旅順攻略部隊の司令官である乃木大将の拙攻に業を煮やした陸軍本体の参謀長・児玉源太郎が、旅順現地に乗り込むところです。
児玉の来訪理由をもちろん分かっているにもかかわらず、乃木大将は昔からの盟友を丁重に迎え、司令部に招き入れて、何とそこで漢詩の創作会を行うのです。有名な203高地では、無謀な突撃指令によって何千何万の兵士の命が失われているそのときにです。
これが時代が下って日米戦の戦場だったなら、このようなシーンは恐らくなかったでしょう。
漢詩のやりとりの後、心を落ち着けた乃木大将は、現地司令官としての権限を児玉参謀長に委譲することに静かに同意します。
2人の将軍には、日本国の危機がどれほどのものであり、軍人としての自分達の使命が何であり、それが目前の戦場においてどう果たされるべきかがはっきりと見えていたのでしょう。
戦争指導者たる自分たちが、深く価値観を共有して意思統一をすることの重大さも、また自明の前提なのでした。
ただ、こうした高度なコミュニケーションのためには、現代ではすでに失われた、知識人としての伝統文化への深い教養とそれに裏打ちされた見識もまた必要でした。
その後児玉戦略に基づく榴弾砲等巨大砲を活用した攻略作戦によって、旅順要塞は数日のうちに陥落し、日露戦争は日本海決戦による決着へ向け一気に動いていったのです。
こうした指導者のあり方は、現代においてはすでに一つの憧れでしかないかもしれません。
しかしながらここには、グローバル化が進む資本主義経済社会の行き詰まりの中で右顧左眄する私たちが学ぶべき重要なポイントがあります。
合理的に形作られたシステム(※例えば、資本主義経済のような)には、システムが処理しきれない綻びが必ずあり、そのためシステムの原理が適用できない“外部”が必ず生み出されていくということ。
そして、その“外部”とうまく折り合いをつけるには、古来から培われ受け継がれた、文化・教養・知恵といった民族的な伝統的価値が不可欠であるということ。
『坂の上の雲』に登場する明治の群像は、そうしたことを、現代に生きる私たちに強く問いかけているように思われます。
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