定期レポート2009年6月

キーワード10:“泣いて馬謖を斬る”

 三国時代の蜀の智将・諸葛孔明は、その晩年、魏との度重なる戦いの中で、自らの指令に背いて敗戦した腹心の武将・馬謖(ばしょく)を、「軍律最優先」の原則の下周囲の慰留を退けて涙ながらに処刑します。
  その故事に基づき、組織の規律を徹底するために腹心の部下に対して人事上の処分を下すことを、「泣いて馬謖を斬る」と言います。
組織の長たる者、情に厚いのは当然のこととして、決定的な場面では腹心でさえも容赦なく排除するほどの決断力を備えていなければならない意味の教えでもあります。

 さて、先ごろ、麻生首相によって鳩山総務大臣が事実上更迭されるというちょっとした政変が起こりました。鳩山氏は、昨年の麻生首相誕生にあたっては、その党内支持母体である「太郎会」の会長を務め、まさに盟友中の盟友と目された閣僚です。
報道を見る限り、「郵政民営化」を巡る党内支持基盤確保への政治的思惑があったとは言われますが、麻生首相の決断の経緯は今ひとつ定かではありません。記者からの質問にも頑なにコメントを拒んでいました。
 「酩酊会見」が問われた2月の中川財務大臣、「不倫旅行」がスクープされた5月の鴻池官房副長官に続いて、主要な政府幹部の更迭だけでもこれで3人目です。麻生内閣もいよいよ終末か、と言われても仕方のない状況になってしまいました。
もちろん、麻生首相としてはまさに「泣いて馬謖を斬る」の心境でしょうが、立て続けに3人も「馬謖」に登場されては、見ている方は否が応にも、それは「部下」よりむしろ任命した「上司」の資質の方の問題ではないのかと考えたくなります。
ちなみに、諸葛孔明の場合は、馬謖の処刑に際しては自己責任も厳しく問い、2階級降格処分を自らに課したといわれています。

 

読書ノート5:『出星前夜』(飯嶋和一著、小学館刊)

 もう20年以上も前、単車で九州を一周した折、雲仙で有名な島原半島にも足を伸ばしたことがあります。本書の主要な舞台である原城跡は、その南東端に位置する古い城跡です。
周囲は田園地帯、背後は春の日差しきらめく有明海。城跡は僅か数ヘクタール程度でさほど広くはありません。城の面影は僅かに石垣が残る程度、荒涼として土産物店ひとつないのに、たしかに400年前農民達の決死の反乱の舞台であったことが、ある種異様な雰囲気を伴って偲ばれました。
 そう、本書は、誰もが学生時代に歴史教科書で一度は学んだいわゆる「天草四郎の乱」を描いた壮大な歴史物語です。ただ、その主要な着眼は、「隠れキリシタン」による反乱や戦闘そのものよりも、その背景にある領主による過酷な年貢の徴収、農民の暮らしの凄まじいまでの疲弊振り、また旧武士でもある農民指導層(※庄屋等)が幕藩体制による支配の中で支配層と農民の板ばさみで苦悩する姿に向けられています。
17世紀前半、幕府では3代将軍家光が誕生しようやく幕藩体制も安定を見せた頃、九州辺境の地島原では、「傷寒」(※インフルエンザ)が猛威をふるっていました。今般の新型豚インフルエンザがそうであるように、主に年少の子供たちが罹患し重篤な症状に至り、致死率も極めて高かったようです。
 主人公の一人である長崎の医師恵舟が、地元の依頼を受け薬師を連れて島原を往診に回るところから物語は始まります。
 著者は、まずその治療の様子を、当時の先端医術の原理と共に実に克明に描いていて圧巻です。貧しい農家を訪ね、瀕死の子供達の病状を冷静に見極め、その症状の特徴と進行段階に応じて漢方薬の調合割合を厳密に判断し、専属の薬師が手早く処方する。さらには、その煎じ方・調合方法等を親達に仔細に引き継いで、そしてまた次の病人が待つ家へと急ぐ。その繰り返しを、持参した薬品が尽きるまで続けるのでした。
 名医の誉れ高い恵舟に先端医術を伝授したのは、実は潜伏していたポルトガルの宣教師で、何と当時外科手術までも手掛けていたといいます。その恵舟の医術は、やがて島原の反乱の契機を作った少年寿安(※天草四郎ではない)に引き継がれていくことになります。
 本書のタイトル「出星前夜」とは、近代医術の「星」ともいえる名医寿安(※後の大阪で活躍したといわれる)が生まれたのは、島原での農民の動乱を巡る少年時代の過酷な体験が事実上の伏線となっていることから、そのように名づけられているようです。
歴史小説ファンにかかわらず必読の傑作といえます。

 

 



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