定期レポート2007年9月

ソフィア・アイ :  総理辞任が示す人材の資質

 

 9月12日、安倍首相は事実上政権を投げ出す形で辞意を表明しました。

 首相は参院選大敗後の8月下旬に内閣を改造し、既に9月10日には臨時国会での所信表明演説を終えていました。国民の誰もが少なくともしばらくは、政権の継続を自明と考えていたのです。

 その第一報を、出張先の福井でタクシーの運転手から聞いたのですが、あまりの唐突さに驚きを禁じえませんでした。「この人は、一体日本国のことを何と思っているのだろうか」と。

 その後の報道を総合すると、どうやら辞任のほぼ唯一の直接的理由は「健康問題」、というよりも単なる体調にあったようです。 「機能性胃腸炎」、がんや潰瘍のように直接器官に異常はなく、要するにいわゆる「胃腸の調子がすぐれない」という症状です。筆者は先日急性腸炎を発症し、発熱も39度に達したのでさすがに入院加療したのですが、それでも4泊5日で退院しました。単純に比較できないにせよ、首相の病状はそのレベルにも達しない程度のものです。

 ですが、現実にこれが、わが国総理大臣の辞職理由になってしまったのです。

  ここで考えてみたいことは、そもそも現在の政治情勢とは、内閣の首班たる総理大臣の心身に過度な負荷を与える状況なのだろうか、という点です。

  奇しくも総理辞任表明前日の9月11日の夜、NHKの歴史番組『その時歴史が動いた』で、戦前の文民宰相・広田弘毅の特集をしていました。

  広田弘毅は、いわゆる「A級戦犯」として、「東京裁判」で死刑判決を受けた7名のうちの一人です。 しかしその実像は「戦犯」などというイメージとは全く異なり、軍部主導の政府が雪崩を打って日中戦争〜太平洋戦争に突入していく中にあって、協調外交を掲げて3度の外務大臣と1度の首相という極めて困難な任務を実直に担った人でした。

 その頃既に軍は「統帥権の独立」を根拠に「軍部大臣現役武官制」を主張するようになっており、軍の意向に沿わない内閣は成立できない状況になっていました。特に首相に就任した昭和11年は、岡田啓介内閣が226事件によって倒れた直後で、他に誰も引き受けなかったためやむを得ず広田首相が組閣を担ったのでした。3度の外相就任も同様に、その外交手腕を買われ請われてなったもので、広田弘毅その人には全く政治的野心はなかったのです。

 その間の消息は、小林よしのり著『いわゆるA級戦犯について』(※幻冬舎刊)に、詳しくまとめられています。

 その中で特に印象的なのは、東京裁判の被告の一人として逮捕されてからの広田の振舞い方、生き方です。 「裁判」の主要な「起訴理由」である日中戦争拡大の責任等問われても、広田外務大臣には軍に対する権限は何もなかったです。にもかかわらず、一部には他人に責任を押し付けてまで重罪を逃れようとする被告もいる中にあって、広田は一切の言い訳を行わず、裁判の証言台にも一度も立つことはありませんでした。

  そんな一方的な裁判が進行する中、法廷には広田の次女と三女が必ず傍聴に駆けつけていました。また、苦楽を共にした静子夫人は、獄中の広田の精神的負担を少しでも和らげようとして、決意の服毒自殺を果たします。

 そうして最後の時がやってきます。その様子は、「東京裁判」のニュース映像として度々放映されるよく知られたシーンです。判決を受けるために法廷に登場した広田が、通訳を聞くためのヘッドホーンを耳に掛け、絞首刑の判決(※デス・バイ・ハンキング)が告げられます。そうすると広田は、まるで何でもない伝言を聞いた時のように、「あっ、そう」とでもいうような表情ですぐにヘッドホーンをはずして退廷していきます。ちらっと視線を投げかけた先には、やはりその日も2人の娘さんの姿があったのでした。

 刑の執行は判決後すぐに、7名を2組に分けて行われました。後の組になった広田は、よりによっていわば政敵とも言える板垣征四郎、木村兵太郎の両陸軍大将と一緒に処刑台に上ることになります。 ところがその時、むしろ広田から板垣に向かって、「(最後だから)万歳しましょう。あなた音頭を取りなさい」と持ちかけ、一同割れんばかりの発声で「天皇陛下万歳」を三唱したのでした。その後は、皆でにこにこと挨拶を交わし、感謝の言葉を残して刑場に消えていったといいます。

  果たして戦前・戦中と今日の政治状況を比較するとき、一体どちらが困難で、そこに立ち向かう政治家の心身の負荷が大きいのでしょうか。すでに比べるまでもないように思われます。

 人材の資質には、一般に2つのタイプがあるようです。

 ひとつは、直面する困難や課題を自己の成長の糧とし、そして人事を尽くしても打開の手がかりが掴めないときには潔く身を処する人。いまひとつは、課題の前で立ちすくむか、またはそこから逃避することによって、成長できない人。

 どうやら現在わが国は、後者の資質を備えた首相を抱えてしまう不幸に直面しているようです。

 

キーワード紹介4 : “ セルフ・マネジメント

 

コンピテンシーやリーダーシップが盛んに議論される中では、自らの職務や学習プロセスを自ら統制するセルフマネジメントにも注目が向けられています。

セルフマネジメントがうまくできているケースとそうでないケースでは、何がどう具体的に異なるのでしょうか?

極めて単純な例としては、社員が朝出社してきた時。

セルフマネジメントができている社員なら、自ら一日のワークスケジュールをまとめて上司に報告し承認を仰ぐでしょう。ところが、できていない社員は、「今日は何をやればいいですか?」と訊くことになります。いわゆる「指示待ち族」です。部下が前者のタイプなら上司は判断をすればよいのですが、後者だと本人に代わってやるべきことを整理し本人に説明してやることからはじめなくてはならず、マネージャーとしての仕事の生産性に深刻なマイナス影響が生じます。

また、こうした単純な側面のみならず、セルフマネジメントは問題解決や改善活動の成果にも深く関係しています。

セルフマネジメントとは、自分の活動を統制するということだけでなく、思考と判断の“対象”に自分をも含めているということです。このことは至極当然のようでいて、実践するのは必ずしも容易ではない意味があります。

日々組織内で行われている改善プロジェクト活動やその中での議論の中身を振り返っていただければと思います。そうすると、人は多くの場合、問題の検討や改善の対象に自分自身を含めていないということが発見できることでしょう。

※ちなにみ、最近内閣改造を行う際に、自分の「体調と体力」と考慮していない首相もいました。

自分だけはいつも「問題」の外側にいて、それを指摘したり非難したりするだけ。他人の問題点は指摘するのに、自分自身に対してはその10分の1も問題がないと考えている。こうしたことは、多くの人材の習慣であり、組織の体質にもなっています。

ところが、実際には、自分自身は現実の組織の構成員であり、必ず「問題」の一翼に関与しているはずです。自己と世界とは、何らかの形で必ずつながっているのです。

このように世界とのつながりの中での自分を認知しているかどうかは、セルフマネジメント能力の水準を決定付ける重要な要素です。にもかかわらず、現実の組織には、そうしたマインドセットを持っている人材は決して多くありません。ということは、逆に考えると、セルフマネジメント能力の水準は、組織力と組織としてのパフォーマンスを左右する重要なファクターになっていると言えそうです。

こうしてセルフマネジメントは、人材のコンピテンシーレベルを規定し、仕事の成果に重大な影響を持つことによって、ひいては企業競争力の形成に深く関係していると考えられます。



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